CROSS TALK
SAKON Dialogue : 015

セカンドキャリアの選び方

古木克明(Baseball Surfer代表/元プロ野球選手)
古木克明
KATSUAKI FURUKI
Baseball Surfer代表/元プロ野球選手
SAKON Dialogue : 015
セカンドキャリアの選び方
『長寿のMIKATA』編集長・山本左近には、元プロ野球選手だった古木克明さんの苦悩が理解できる。古木さんは、プロ野球選手引退後の人生の選択に苦しんだ。アスリートの現役時代は、長くはない。セカンドキャリア、つまり第二の人生をいかに歩むか、その問題にいち早く直面するからだ。 しかし、人生100年時代ともなれば、アスリートに限らずセカンドキャリアを選ぶ瞬間が誰にもきっとやってくる。古木さんはどのように新しい人生を選択し、またその扉をいかに開いたのだろうか。同じ元アスリートとして、そして、現在第二の人生を歩む共通の立場をふまえて山本左近が話を聞いた。幸せに生きるとは何か。そのヒントまでもが見えてきた。
photos : Nobuaki Ishimaru(d'Arc)
text : Masaki Takahashi

バックグラウンドを活かす第二の人生

山本左近(以下、左近):古木さんの生き方、生き様を知れば知るほど、特に他人事とは思えないのがセカンドキャリアの選択です。僕もF1レーサーをやめて、今第二の人生を歩んでいる最中ですが、古木さんはプロ野球選手の後に、プロ格闘家に大転身をはかっています。

古木克明(以下、古木):プロ野球選手の時代に、「お前は勝負の世界に向いていない」とよく言われたものです。格闘家に転向するとなったら、もっと言われるようになりましたね。

左近:優しい気持ちをお持ちですものね。よくぞ人を殴るスポーツを選択したなって思いますよ。相手選手を思い切りブン殴れたんですか?

古木:それはもう競技ですからね、覚悟を決めてしっかり全力で殴れました(笑)。とはいえ2010年の大みそかに開催された格闘イベント「Dynamite!!」に出場が決まった時、試合前に怖くなって、宇宙人が来て会場のさいたまスーパーアリーナーだけ消し去ってくれないかなって思ったくらいです。

左近:その感覚よくわかります(笑) 。
アスリートの現役時代は短いので、セカンドキャリアを選択するタイミングは必ずやって来ますよね。今は人生100年時代ですから、アスリートに限らず人生の転換期は多くの人にとって、決して他人事じゃないと思います。
人生が切り替わる時々でも、今の自分は幸せで楽しいという生き方や暮らし方をしているのが理想だと思うんです。

古木:おっしゃるとおり、その考え方は本当によくわかります。

左近:例えば、陸上選手が引退して、バスやトラックの運転手になる。それもひとつのセカンドキャリアですが、これまで培ったバックグラウンドを生かす選択肢も当然あるべきだと思うんです。

古木:私の場合はいっとき野球が本当に嫌いになり、二度と野球と関わるまいと思って格闘家になりました。バックグラウンドを生かさなくていいとさえ思っていました。

左近:しかし今、野球というバックグラウンドを活かしたビジネス展開をされています。そのために起ち上げたのが……。

古木:「Baseball Surfer」と名付けた事業です。新しい野球の楽しさや楽しみ方を多くの人に提案するために、野球教室を開催したり、「アサカツ キャッチボール」と題して子どもや大人を集めて早朝キャッチボールをするイベントなどを行っています。
アパレル事業も展開していて、野球のカッコよさを伝えるメッセージ性を込めたウェアをリリースしています。

左近:一度は毛嫌いした野球に対し、今一度向き合おうと思ったきっかけは何だったのでしょう。

古木:格闘家をやめてから、自分の夢を探すために事業構想大学院大学へ通い、人生をリセットしよう思ったんです。その時点では、スポーツ関係とは一線を引こうと思いながら経営を学びました。ところが、そこで出会ったゼミの先生に、自分のキャリアやバックボーンを大切にするべきだと諭されたんです。

自分の想いを形にしていく

左近:自分探しの目的で大学に入って勉強しなおしたら、やっぱりご自身の芯にあった野球を再び発見したんですね。

古木:そうなんです。野球って、もともとはレクリエーションであり、決して競技ではなかったわけです。いま野球離れが加速している一因は、大人が子どもをごちゃごちゃと叱りながら教えたら、そんなの嫌いになっちゃいますよね。
親子が楽しく会話しながらできるキャッチボールをするとか、そういう気楽な入り口から野球本来の楽しさを、大人にも子どもにも伝えていきたいとあらためて気づいたんです。

左近:やっぱり古木さんには野球に対する切っても切れない愛があるんですよ。

古木:じつは小学生か中学生の時の卒業文集に、将来子どもたちに野球を伝えたいって書いていたんです。だから今取り組んでいることは、小中学校時代の想いそのままで、何も変わっていないんですよね。

左近:自分が子どもの時に、子どもたちに野球を伝えたいと書けるって凄いこと(笑)。将来像がはっきりしていたんですね。

古木:想いを形にしていくことって大切です。想いがないことをやっても仕方がない。想いがないから転職をしたり、セカンドキャリアを考える時に途方に暮れてしまうんだと思います。自分の想いを見つめなおすことって大切だと、今は実感しています。

左近:人生は思っている以上に長いですからね。

古木:格闘技をやめてすぐ、自分の未来がまったく見えなくて、高速道路で車を走らせている時、このままアクセルを踏み込めばガードレールを破って死ねるかなって、頭をよぎったこともあります。
でも踏みとどまれたのは、かつて格闘技の試合中に、一発いい打撃を食らって死ぬかもしれない、死ぬのは怖いなって思った記憶がよみがえったからなんです。

左近:それはきっと、古木さんはまだこの世でやるべき役割があるからと、神様に生かしてもらえたんじゃないですかね。これからますます高齢者が増えて、車椅子の人が増えていくなかで、古木さんの役目も増えるように思います。

古木:今、左近さんからとてもいいヒントをいただきました! お年寄りでもできる野球を考えるのもいいかもしれません(笑)。

左近:以前、豊橋にある福祉村病院まで古木さんに来ていただき、認知症患者の方とのキャッチボールや、障害をおもちの方々や保育園のみんなと一緒に、真剣に野球をしてもらったことがありましたよね。

みんな生き生きとしながら野球を楽しんでくれて、何より古木さんの顔が輝いていました。あのシーンには感動しました。野球を通じてみんなが笑顔に幸せになれるって素晴らしいなって。ぜひ現在の活動を続けてほしいです。最後に、古木さんの夢を聞かせてください。

古木:具体的な夢は自分の中でまだ見えてなくて、形もないんですよ。ただひたすら野球の楽しさを広める活動を続けていきたい。それがどう収入に結び付くかは、まだわかりません。きれいごとばかりじゃなく、きちんとしたビジネスモデルに発展させるのも目標のひとつです。

左近:今日は本音の底の部分まで聞かせていただき、本当にありがとうございました。古木さんの新たなキャリアの成功を心から願っています。
古木克明
KATSUAKI FURUKI
Baseball Surfer代表/元プロ野球選手
1980年、三重県松阪市生まれ。1998年に横浜ベイスターズ(現横浜DeNAベイスターズ)にドラフト1位で入団。2003年にキャリア最多の25本塁打を記録。2007年にオリックス バファローズに移籍するも2009年に戦力外通告を受け現役を引退。同年格闘家転向を表明。生涯戦績は2戦1勝1敗。2013年には米独立リーグのハワイ・スターズに入団し、1シーズンのプレーしその後引退。2014年から事業構想大学院大学へ入学し、事業構想修士を取得する。2017年に新しい野球の楽しさを広めるべく「Baseball Suffer」を起ち上げる。
山本左近
SAKON YAMAMOTO
さわらびグループ CEO/DEO
レーシングドライバー/元F1ドライバー
1982年、愛知県豊橋市生まれ。幼少期に見たF1日本GPでのセナの走りに心を奪われ、将来F1パイロットになると誓う。両親に土下座して説得し1994年よりカートからレーシングキャリアをスタートさせる。2002年より単身渡欧。ドイツ、イギリス、スペインに拠点を構え、約10年間、世界中を転戦。2006年、当時日本人最年少F1デビュー。2012年に日本に拠点を移し、医療法人/社会福祉法人の統括本部長として医療と福祉の向上に邁進する。2017年には未来ヴィジョン「NEXT55 Vision 超幸齢社会をデザインする。」を掲げた。また、学校法人さわらび学園 中部福祉保育医療専門学校において、次世代のグローバル福祉リーダーの育成に精力的に取り組んでいる。日本語、英語、スペイン語を話すマルチリンガル。

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