MIRAI
山本左近の未来考察『医療福祉×テクノロジー』
第4回

いくつになっても
幸せでいる秘訣2

ピンピンコロリは、
本当に幸せな死に方なのか

 人生100年時代と言われるように、医療技術やテクノロジーの進歩とともに、日本人の平均寿命は長くなっています。長生きする方が増えれば、その「死に方」について議論される機会も必然的に増えていきます。

 実際、「病気にかからずに、ピンピンコロリであの世に逝きたい」と言う方に時折出会います。ピンピンコロリは、果たして本当に幸せな死に方なのでしょうか。

 ピンピンコロリは、言い方をかえると、突然死とも言えます。「昨日まであんなに元気だったのに……」が枕詞となり、本人もまわりも、予期せぬ形で死を迎えることになります。

 寝たきりになることや、自分の介護を通じて、家族が疲弊していくことは誰も望まないことでしょう。でも、たとえば、心筋梗塞によって50歳で家族が突然亡くなった場合、「ピンピンコロリで良かったね」とはならないはずです。

 では、85歳ならどうでしょうか。85歳のおじいさんが、同じように亡くなった場合、「ピンピンコロリで良かった」となるのでしょうか。

 客観的に考えたら、たしかにそうかもしれません。でも、たとえばお孫さんがスタメンでW杯に出場するとします。それで、おじいさんは「ロシアまで応援に行こう」と張り切っていたのですが、前日に亡くなってしまいました……。

 主観的な目線で、このような想像をすると、おじいさんはさぞ残念な最期だったのではないでしょうか。

テクノロジーに対する柔軟さと幸せ

 客観と主観を一緒にすること自体がおかしいのかもしれませんが、僕は、何歳になっても自分の「したいこと、できること、やるべきこと」が明確で、毎日を生きることが幸せだと思います。

 その意味では、老年期は若い頃と違って、できることが少なくなっていったり、変わってきたりします。やるべきこと、やりたい意欲も低下していくでしょう。

 前回のコラムで、たとえ病気や障害をかかえることになり、できることが少なくなったとしても、今できることで、他の方の役に立つ働きをすることが幸せの秘訣というお話をしました。

 これにもうひとつ付け加えるとするなら、年々進歩するテクノロジーに対して、柔軟に対応できる「柔らかさ」を持つことも、人生100年時代を幸せに生きるポイントになるのではないでしょうか。

 英国風のユーモアとウィットで知られるSF作家ダグラス・アダムスの未完の原稿などをまとめた著作『Salmon of Doubt』のなかに、テクノロジーについて興味深い法則が記されています。

・「人は、自分が生まれたときにすでに存在したテクノロジーを、普通な世界の一部と感じる」

・「15歳から35歳の間に発明されたテクノロジーは、新しくエキサイティングなものと感じられる」

・「35歳以降になって発明されたテクノロジーは、自然に反するものと感じられる」

 これらは「ダグラス・アダムスの法則」と言われ、エビデンスのある科学的な法則というより、作者のユーモアとしての表現ですが、感覚的には理解できるように思います。

進化するテクノロジーを
受け入れられるか

 僕は今36歳ですが、個人的な経験をお伝えすると、Facebookはちょうど10年ほど前から使用しているので活用に困ることはまずありません。

 一方、Instagramのストーリー機能は、どんなおもしろさがあるのかわからず、なかなか使えずにいました。最近になって知人に使い方を教わり、ようやく使い方やおもしろさを理解できたのです。

 また、グーグル検索は10年以上前から使っていましたが、ツイッターで調べごとを検索することはありませんでした。

 これらはテクノロジーというよりも、ソーシャルメディアとの付き合い方の話かもしれませんが、わずか10年ほどの違いで、言ってしまえば「エキサイティング」と感じるか、「自然に反する」と感じるかの違いが生じています。

 自分自身の体験を踏まえると、今の高齢者の方に「スマホを持ってほしい」「ウェアラブルウォッチをつけてほしい」「アプリを開いてほしい」などと言うことは、あまりにハードルが高いことのように思うのです。

 それでもテクノロジーの進化は今、障害などで制限のある方の生活をどんどんと良くする方向に進んでいます。

 たとえば、走り幅跳びの世界記録を持っているドイツ人のアスリート“マルクス・レーム”は、義足の選手ですが、彼のブレードと呼ばれる義足は、カーボンファーバーで作られています。そして驚くべきことに健常者の世界記録に迫るほどの結果を残しています。
 また、CESで見かけたのですが、神経を読み取り、離れた義手を自分の手と同じように動かすこともできるようになっています。

 身体的機能の拡張という面で、テクノロジーはこのようにどんどんと進化し、障害という壁を突破し始めています。

テクノロジーは幸せを創ってくれるのか?

 予防医療に目を向けると、ここでもテクノロジーは着実に浸透してきています。
 日中の生活活動をウェアラブルデバイスで記録することにより、将来的には、病気リスクや介護リスクを下げることが可能と言われています。

 「スマホを持つ」「ウェアラブルウォッチをつける」「アプリを開く」ということ自体は、目的でなく手段です。より健康で、元気に長生きできるようになるために使ったほうが良いと感じられたら、自らその労を惜しむことはしないでしょう。

 人生100年時代を考えると、この先途方もなく、テクノロジーが進化していきそうです。今後、自分たちが新しいテクノロジーに追いついていけなくなる日も出てくるでしょう。

 やりがいを持って生きてらっしゃる今の高齢者の方々とお話してみると、新しく挑戦したり、新しいことを学んだりしている活発な様子が伺えます。

 つまり、テクノロジー自体が私たちを幸せにしてくれるのではなく、何歳になっても大事なことは、私たち自身が意志をもって行動し、今日という1日1日を未来に向かって生きること。それが結果として幸せな人生になるのではないかと思いました。

 ピンピンコロリであっても、家族に看取られながらの死であっても、死に方が大事なのではなく、死の直前までどのように生きるのかという「生き方」のほうが大事ではないかと思えてなりません。

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