CROSS TALK
SAKON Dialogue : 018

あらゆる人が混じり合う場を日常に #1

藤岡聡子(福祉環境設計士)
藤岡聡子
Satoko Fujioka
福祉環境設計士
SAKON Dialogue : 018
あらゆる人が混じり合う場を日常に #1
性別、国籍、年齢、障害、生と死――。私たちは知らず知らずのうち境界線を意識している。物事をわかりやすくカテゴリ分けすることは、作業を円滑に進めることなどにつながるが、人においては乖離や差別を生み、多様性のない環境をつくりだすこともある。高齢者、患者等の条件によって集まる場ではなく、あらゆる色の絵の具が混じるような場をつくりたい。そう考える福祉環境設計士の藤岡聡子さんは、「福祉と町」や「教育と福祉」をキーワードに人の流れを生む場づくりをしている。原体験から生まれた、日常と死をも切り分けない場づくりを目指す藤岡さんの思い、そして現在取り組んでいる“新たな場”について山本左近が聞いた。2回に分けてお送りする。
撮影協力:ゲストハウス「シーナと一平」(東京都豊島区)
photos : Ren Arimura(d'Arc)
text : Yuko Kikkawa

死を意識することを、タブーにしたくない

山本左近(以下、左近):藤岡さんは、福祉環境設計士という肩書をお持ちですよね。初めて聞いた肩書ですが、福祉環境設計士とはどんな役割を担うんですか?

藤岡聡子(以下、藤岡):私が思いついた肩書なので、初耳だと思います(笑)。2018年に3人目の子どもが生まれたときに、自分の第二ステージが始まったと感じたんです。第二ステージに突入するうえで、自分のやっていることを言い表せる肩書がほしかったんです。
私は「福祉の再構築」をテーマに、福祉に関する事業をプロデュースしたり、ワークショップを企画するなどしながら活動してきましたが、結局のところ福祉や介護が必要な人や、障害を持った人とそうでない人を区別するのでなく、誰もが集まって交流できる場を設計してきたのかなと思って名付けました。

左近:藤岡さんの思いを実現させた場のひとつが、今、おじゃましているゲストハウスで行っていた「長崎二丁目家庭科室」だったわけですね。

藤岡:そうです。この「シーナと一平」は1階がカフェで2階が宿なのですが、2017年の4月から約1年間、カフェのスペースを間借りして「長崎二丁目家庭科室」を運営していました。編み物や刺しゅう、料理など手づくりが得意な近所の人たちに声をかけて教室を開いてもらったりして、毎月100名ほどが集まる場になりました。
この豊島区長崎という地区に暮らす人や、宿の利用者も含め、年齢や国籍など一切関係なく、手づくりを通していろいろな人が混じり合いながら、福祉や介護について知るきっかけにしたい。町と福祉の接点をつくりたいと思って始めたんです。

左近:町と福祉の接点をつくるという考え方に僕も共感しますが、福祉って当事者にならないと、身近に感じにくいものですよね。藤岡さんが町と福祉の接点をつくろうと思ったきっかけが知りたいです。

藤岡:父の死ですね。父は呼吸器科が専門の内科医でしたが、私が小学6年生のときに肺がんで亡くなりました。父が病気になり、やがて死んでいくということを頭で理解していても、弱っていく父を見て怖いと感じたりして、父の死にちゃんと向き合えませんでした。
学校の先生や友達は、「大変だね」と心配してくれるのですが、まるで腫れ物に触るみたいに私に接してくる。死は特別なことであって、私たちの生活からとても遠いものになっていることに戸惑い、心が揺らぎました。
そんな子どもの頃の体験から、人の死とちゃんと向き合いたいという思いが芽生え、2010年に友人がたち上げた介護ベンチャーの創業メンバーとして、全50床の住宅型有料老人ホームをつくりました。友人は今も頑張っていますが、結局私は断念することになったんです。

左近:うまくいかなかったんですか?

藤岡:起業した後に2人目の子どもができたことと、母が末期がんになり看病が必要になったことが重なって、私は自分の家族のために時間を使うことになりました。それが有料老人ホームの経営に携われなくなった要因のひとつです。それと、私にはお年寄りだけが集まる箱じゃなくて、介護を必要としない人たちも含めて、いろいろな人が自然と集まる場をつくりたいという思いがありました。だから有料老人ホームの中にカフェをつくって、カフェの2階は近所の小学校に通う子どもたちが放課後に立ち寄れる学童保育のようなことをして、多世代が交流できる場にするつもりでした。

左近:9年くらい前の起業だと、多世代という言葉すら浸透していないはず。周囲の人は理解しづらかったかもしれませんね。

藤岡:「老人ホームに子どもたちが入ってきたら危ない」なんて言われて、全然理解されなかったですね。でも母を看取った後にデンマークに留学して、幼児教育や高齢者福祉の現場を見学したり、議員の方々とディスカッションする中で、教育と福祉が横断できるような場をつくって、高齢者と子どもを隔てない、人の死に向き合いながら、死をタブーとしない社会を築いていきたいという思いが一層強くなったんです。

場づくりとは、文化の醸成

左近:藤岡さんの思いを実現させた「長崎二丁目家庭科室」を始めてからはどうでしたか? 藤岡さんが予想していなかったような出来事が起きたりしましたか?

藤岡:本当にいろいろなことが起きましたよ。ただ私は「あ、この方素敵だな」という方たちに声をかけて、場を提供しただけなんです。
最初は誰もが遠慮がちなんですが、やりましょうよと声をかけたらすっごくうれしそうな顔をされるんですよね。実際にやっていただくと本当にすごく技術のレベルが高くて。人には潜在的な気持ちと、顕在的な気持ちの両方があると思いますが、奥にある気持ちを引っ張って、先生役をしてくださった方たちの笑顔が見られるとうれしくて。

左近:相手の能力を引き出すのがうまいんでしょうね。でも藤岡さんの役割は、こうした場づくりにおいて重要ですよね。みんなそれぞれ得意なことがあって、何かやりたいという気持ちはあるんだけど、シャイだから自分からは行動できない人がすごく多い。
その気持ちをくみ取って行動に結びつけることが場を活性化させていくことにつながるわけだから、本当に重要だと思います。

藤岡:「長崎二丁目家庭科室」を始める前、何度もこの町に来てリサーチをしました。それで手づくりが好きな人が多く暮らしている町だとわかったので、手づくりや、手を動かすことを通じて多世代が交流できる場をこの地区につくったんです。
「長崎二丁目家庭科室」が終わった今も、このカフェスペースで編み物の会、として続けてくださっている集まりもあります。私が頼んでいるわけでもないのに、子どもから大人まで、みんなで手づくりを楽しむという過ごし方、文化が実際に根付いたわけです。ああ、これこそが私が見たかった光景だ、本当に奇跡だなって思いました。

左近:ちなみに運営を続けるにあたり、資金面の問題などはあったんでしょうか?

藤岡:「長崎二丁目家庭科室」に関しては、私を含め運営に関わった3人は、場を楽しみたくて集まった仲間なので、ボランティアで活動していました。私たちの生活を支えるほどの収益を「長崎二丁目家庭科室」であげようとは初めから思っていなかったんです。

左近:なるほど。話を聞いていると、藤岡さんはファウンダー的というか、ゼロをイチにする役割を担う人なんだということがよくわかります。

藤岡:なので最初から1年くらい続けようと期限を決めていました。私は続けること自体が目的になるくらいなら、スパッとやめてもいいと思っているんです。私がやめても、この場を必要だと思う人がいれば続いていくはずだから。あとは、場にいる人同士で自由にやってもらえたらいいですね。

ただ、新たな事業軸を探していく必要はあるとずっと考えていて、そのアイデアの種を、「長崎二丁目家庭科室」を通じてたくさん見つけました。それを2020年に軽井沢で開業予定の「ほっちのロッヂ」で活かそうとしているところです。
場所には全然こだわりがなく、思いを分かち合える仲間の存在がなによりも重要。私はミツバチみたいにあちこちに飛んでいって受粉しているみたいな、そんな感じです。
(#2に続く)
藤岡聡子
Satoko Fujioka
福祉環境設計士
1985年徳島県生まれ、三重県育ち。小学6年生のときに内科医であった父の他界を経験し、日常の中に死と向き合う場がないことに違和感を覚える。映画『崖の上のポニョ』で、デイサービスと保育園が併設されている場のシーンを見て、こういう場をつくりたいと一念発起。24歳のとき友人が立ち上げた介護ベンチャーの創業メンバーとして、全50床の住宅型有料老人ホームを開設。2015年にデンマークで幼児教育や高齢者住宅などを視察したのち、同年11月、「福祉の再構築」をミッションに活動する株式会社ReDoを起業。自身の経験を軸に「人の育ち」「学び直し」「生きて老いる本質」をキーワードに活動している。2017年4月〜2018年2月、東京都豊島区長崎地区で「長崎二丁目家庭科室」を運営。2020年4月を目標に、長野県北佐久郡軽井沢町発地地区で診療所、通所介護施設、病児保育、訪問看護ステーションの在宅医療拠点「ほっちのロッヂ」を開業予定。
山本左近
SAKON YAMAMOTO
さわらびグループ CEO/DEO
レーシングドライバー/元F1ドライバー
1982年、愛知県豊橋市生まれ。幼少期に見たF1日本GPでのセナの走りに心を奪われ、将来F1パイロットになると誓う。両親に土下座して説得し1994年よりカートからレーシングキャリアをスタートさせる。2002年より単身渡欧。ドイツ、イギリス、スペインに拠点を構え、約10年間、世界中を転戦。2006年、当時日本人最年少F1デビュー。2012年に日本に拠点を移し、医療法人/社会福祉法人の統括本部長として医療と福祉の向上に邁進する。2017年には未来ヴィジョン「NEXT55 Vision 超幸齢社会をデザインする。」を掲げた。また、学校法人さわらび学園 中部福祉保育医療専門学校において、次世代のグローバル福祉リーダーの育成に精力的に取り組んでいる。日本語、英語、スペイン語を話すマルチリンガル。

関連記事

よく読まれている記事

back to top