CROSS TALK
SAKON Dialogue : 023

「できない」を超え、
社会に居場所をつくる #2

吉藤オリィ(株式会社オリィ研究所・所長)
吉藤オリィ
ORY YOSHIFUJI
株式会社オリィ研究所・所長
SAKON Dialogue : 023
「できない」を超え、
社会に居場所をつくる #2
前回(#1参照)に続き、オリィ研究所・代表取締役所長の吉澤オリィさんとのクロストークをお届けする。オリィさんは3年半にわたる自身の引きこもりの経験から「孤独の解消」をミッションとして掲げ、分身ロボット「OriHime」などのツールを使った新しいコミュニケーション方法を提供。ALSなど重度の障害により外出が困難な人でも社会参加を可能にした。単身高齢者が急増する日本において、人とのつながりの確保は全員が自分事として捉えるべき重要なテーマである。新たな時代に突入した今、耳慣れてきた「ダイバーシティ」という言葉の真の意味を問い直すとともに、一歩進んだ多様なコミュニティの在り方について考える。
photos : Nobuaki Ishimaru(d'Arc)
text : Yuichiro Nakada

出会いと発見がない人生なんて

吉藤オリィ(以下、オリィ):今はもういない、1年半前に亡くなった番田()という私の親友が言ったことですが、外出ができないことによる障害が何かといえば、「出会い」と「発見」がないことだと。
出会いと発見がない人生は、何の変化ももたらさない。そう言い表した彼は、1回の外出が貴重であるがゆえに、何とかそこでいろんな人と出会えるようにしようと、一回一回のチャンスを最大化することを頑張っていました。

「OriHime」で外出できるようになってからも、最大化しようというマインドはそのままで、一気に友人を増やしました。「彼が東京に来るぞ」と言ったら、みんながカンパしてくれたりとか、ホテルニューオータニの部屋を貸し切ってパーティしたりとか、そういうことができるような自由を手に入れていました。
※ 番田雄太さんは4歳のとき脊髄を損傷、20年間寝たきり生活を送る。24歳でオリィさんと出会ったのち、「OriHime」開発に貢献。あごでペンマウスを動かすことでPCおよび「OriHime」を操作し、オリィさんの秘書を務めたほか全国で講演を行った。体調不良のため2017年9月に逝去。享年28。


たとえば「OriHime」を持って旅行すると、結構楽しいんですよ。私は「OriHimeトラベル」って呼んでいるんですけど、これを持って話しながら街を歩いていると、大体変な目で見られます(笑)。間違いなく「それ、なんすか?」と止められます。「ここから操作してるんだぜー」なんて言うと、名刺を交換したり、フェイスブックで友達になったりすることが、結構あるんです。すごく写真も撮られますし。鹿児島とか行ったときなんてすごい人気者になりました。

だからまず初めに、その「出会い」と「発見」を外出困難者にとっての大きな障害であると定義します。それを乗り越えるために車いすといったモノを使ったり、あるいは心の車いす、たとえばこうしたロボットを使ったりして社会に参加し、出会いと発見が生まれるようにする。

仲良くなった人とまた会おうねという話になったら、何度も会うのはなかなか難しいから、分身ロボットカフェのようなチームをまずつくって、そのメンバーで遊びに行くといった感じです。重度の障害をもつ人も「OriHime」で参加できる。そのようなコミュニティづくりをちゃんとしていきたいですね。

山本左近(以下、左近):すごくいいですね! 実は僕は、地元の愛知県豊橋市で特別支援学校の評議員をしています。現地を見て第三者の立場から意見を言うのですが、毎回参加しています。
当然ですが、みんなそれぞれ違う個性をもっています。僕は障害も個性だと考えているので、個々に合った教育をしてほしい。一人ひとりの個性をどう伸ばすかというのはとても大事なポイントだと思っています。

でもこれは、日本全体の教育システムにも同じことがいえるんじゃないかなと。どちらかというと「没個性化」がこれまでの日本の教育であったなら、令和の時代は没個性だなんていっている場合ではないですよね。一人ひとりの個性を伸ばしていくために、どのような社会環境や教育が必要かを、自分のテーマの1つとして取り組んでいきたいと思っています。

オリィさんは、研究所の事業を通じて、個性豊かないろんな人達とコミュニケーションされていますが、「個性を伸ばす教育」についてはどうお考えでしょうか?

オリィ:私も特別支援学校の特別外部専門員をやっているんですけど、まず一番大事なことって、「なんのために教育をやるのか」まで立ち返ることだと思うんです。教育とは、つまり社会ですよね。日本社会全体じゃなくてもっと狭い社会でもいいのですが、社会の中で自分の役割を得るための準備期間でしかないと思っています。

親が「良い大学に行きなさい」とか「早稲田、慶応、東大に行きなさい」みたいなことを伝統的にずっと言い続けているのは、実際に行った人たちが将来割と安定した仕事に就きやすいことを統計的に考えて言っているからということに他ならないわけです。

左近さんは元レーサーですからおわかりかもしれませんが、たとえば子どもが「音楽やりたい」と言っても、親は心配し続けますよね。そのうえで今の学校の教育は、経済的自立を考えずに卒業させてしまっていることに問題があると思っています。でも、普通の学校の教育を変えようというのは、私の中ではいったん置いておこうかなと思っていて。かなり問題はあるけどそこまで困ってないからです。なんだかんだで就職できちゃっているので。

切羽詰まっているのは、重度の身体障害をもった人です。勉強もしたいし、できたら就職もしたい。モチベーションはあるのに、できないわけですよ。
だから高校生のうちから、分身ロボットカフェみたいなところで接客したり、ビジネスプランのつくり方などを教わったりして、どうすればお金が稼げるのか、どうすれば自分が社会の役に立てるようになれるのかを学ぶこと。これはあらゆる教育の場に必要だと思っていますが、起業するなり就職するなり一つの成功事例をつくるのを、まず普通科ではなくて特別支援学校からつくれないかって話をしています。

体を学校に運べないハンディキャップがあるゆえに、特別支援学校の身体が不自由な子たちの進学率は確か3パーセントくらいです()。車いすでも行けるか行けないかみたいなところがあったりするという点は解決しないといけないだろうと思っています。
※ 文部科学省『特別支援教育資料(平成29年度)』「特別支援学校高等部(本科)卒業後の状況 - 国・公・私立計 -」によると肢体不自由な卒業生の進学率は3.1%で、就職率は5.1%。知的障害者の進学率は0.4%で、就職率は32.9%。


左近:そうすると、たとえば「OriHime」を大学に持っていって、出席とするみたいなことがありえるってことですよね?

オリィ:それももちろんあり得るし、そもそも大学を卒業しなくてもよいと私は思っています。

左近:でも、勉強したいって思っている人は、今はできない環境があるからそれを変えたいってことですよね。

オリィ:そういうことですね。ただ、勉強だけでいうならば、興味さえあればハーバードの授業だってYouTubeで見られる時代です。勉強を大学の先輩が教えてくれるかっていうと、今はもうネット上にいくらでも論文が転がっているし、勉強の仕方さえわかっていれば、学校なんか行かなくてもいくらでもできます。

でも、学校は別に勉強するだけの場所ではなく、面白い人や先生などとの出会いといったコミュニティ機能が、これからは大きな意味をもつだろうと思っています。人生を大きく変える転機は大体の場合、人との出会いであったり、どういう環境に身を置いたりするかで決まるからです。

私は早稲田大学に9年間行って、結局退学しました。大学の勉強はほぼしていなかったし、単位も取っていませんでした。でも、在籍したことで面白い先生たちと出会って、軽井沢の別荘に泊まりに行ったり、いろんな友達と話をしたり、そういうものが結構今の自分をつくっています。

そういう場に参加できないということが、身体障害者の一番のハンディキャップであろうと私は思っているので、まずは「出会い」。この出会いを求めるためのコミュニティとして適切なのが学校であれば、学校に行けるようにする支援がしたいなと。

左近:これはヨーロッパにいた頃の話ですけど、すごく歩きにくい石畳の道沿いにあるパブから、松葉杖の人や車いすの人も含めたグループが笑いながら一緒に出てくる光景をたびたび見て、ハッとしたことがあったんです。歩きやすいとは到底いえないガタガタの道でも気にせず、友達が車いすを押しながら楽しそうに話してる。でも、こんな風にコミュニケーションしている光景って、日本ではなかなか見かけないんですよね。

日本は「道をフラットにしなければいけない」っていう方向にいきがちですけど、それよりも道が悪くても助けてくれる友達の存在が大事だし、そのほうが楽しいじゃないですか。僕はそれが当たり前の社会になってほしいんです。

オリィ:現状はないんですよね、そういうのが。

みなダイバーシティの意味を履き違えている

オリィ:今の日本に圧倒的に足りてない部分ですが、「ダイバーシティ(多様性)」の意味を履き違えていますよね。「ダイバーシティ」って、そもそも「弱者に優しい社会」って言葉じゃないんですよ。今は障害福祉サービスと同じような概念で、ユニバーサル社会をつくろうってことでダイバーシティという言葉を使っていますが、ホントのダイバーシティって「人と違う」っていうことが価値ですから。

左近:「みんな違って、みんないい」という話ですからね。

オリィ:そうです。みんな違うがゆえに、各々の違っていいという価値はどこにあるのかというところをちゃんと捉えなくてはいけないですね。

要は、ダイバーシティって環境変化においての強みが発揮されるかどうかなんですよ。実際、日本民族は固まっているので変化には弱く、難しい部分ではあるのですが、そこは障害を持っている人たちだからこそ輝けるところはあると思っていて。

新たなベビーブームが来ない限り、今後の日本においてみんな寝たきり社会が来る可能性は無茶苦茶あるわけです。その場合に備えてロールモデルをつくっておくことは極めて大事なミッションですが、誰もそこに着手できていない。そこを担うのが肢体不自由な人たちで、その担いが「ある」ことがダイバーシティなんです。

だから単純に「うちの会社は障害者を雇いましたよ。ほらダイバーシティ」というのではなく、彼らがいることの価値をきちんと定義して、そこで働いている本人たちが「俺たちの役割はこれである」と、「俺たちがここに雇われている価値は、これなんだ」という風にプレゼンス(存在)を発揮できるようにしないと。それが今、日本で弱い部分です。

私は、東京にスナックをつくりたいと思っているんですよ。「OriHime」で働いてもらってもいいし、車いすで接客してもいい。カウンターを低くすればできるわけですから。先ほどの話でいえば、段差はあってもなくてもいい。最近、病院などで流行っているのはフラットではなく、あえて段差を残すデザインなんです。

左近:ある意味、実際の生活環境に合わせて段差をつくるってことですかね?

オリィ:車いすだとそこは自分では越えられないのだけど、近くにいる人が「あー、はいはいはい」みたいな感じで来て、そこでコミュニケーションが生まれるっていう。そういうのが最近増えてきた流行で。
つまり平らなデザインにすれば、彼は一人で外出できるかもしれないけど——。

左近:一人ぼっちは楽しくないですからね。
なんでもツルツルにフラットにしたり、フタを開ける必要すらないトイレがある日本って、日本人の潔癖症な部分が出ていると僕は思っていて。それが、各々の役割を発揮できる環境を奪っているかもしれない。

各々の役割が生まれ合う、役割をどんどん引き出してあげられる社会をつくるために、障害者や車いすの方のためのスナックだって、どんどんできたらよいなと思います。体を動かすのが難しい人が店員さんとしてスナックで働くというのは、きっと今までにない価値観ですよね。みんなが役に立つ社会をどうつくるかというのが一番大事。

オリィ:みんなが役に立つということ、これは本当に大事なところなんですけど、そう言うとなかなか。「みんなが役に立たなきゃいけない社会は気持ち悪いから、別に役に立たなくてもいいじゃないか」という考えも別にあっていいと思うのですが、その中において、やっぱり当事者たちがどう思うかという意思がとても大事で。

だからこそのダイバーシティで、「車いすの人でもみんな遊びに来られる」カフェとかスナックではなく、そこに障害者、健常者は関係なく、空気に合う人が集まればよく、きちんとミッションを掲げてそれに賛同する人のたまり場になっていけばいいなと。

左近:「誰でも来られる」というより、セレクトされた人たちが集まる場所であってもいいってことなんですね。

オリィ:スナックって、そんな感じでもいいと思うんですよね。みんながポジティブに働く空気をつくるというか、ある意味ミッション性をもちつつも、胸を張ってそこに集まれるような環境づくりというのが大事かなと思います。たとえば、単純に「そこにいるママが好き」みたいな。店に入ると「この空気、俺に合うかな」という風に見ますよね、それと同じです。そういうので、ある程度カテゴライズされるので。

もちろん、みんなに向けて開かれた環境ではあるのだけど、目が見えない人であろうが、腕が動かない人であろうが、ポジティブに集まって来られるような環境。身体が運べないのであれば、そこまでの道中は何とかして。車いすの誘導ラインを引いて自動運転化したっていいし、「OriHime」で参加できるようにしてもいいし、バーチャル空間につくったっていい。そういうのが連結した、死ぬまで居場所にできる空間をつくりたいなと。

左近:やっぱり孤独が一番ダメだってことですね。

オリィ:この地球上に居場所がなくなると、人は死にたくなるんです。だから死ぬまでに、できれば3つくらい居場所をもち続けられるような生き方をしっかりと人生戦略として持ち続けていくことです。

左近:「孤独をなくす」ということが、オリィさんの取り組みの根本にあるわけですが、ロボットを通した新しい時代のコミュニケーションですね。

オリィ:ロボットじゃなくてもいいんです。彼らとつくり上げていく、こうした活動全部を含めて、関わる人たちみんなの自己肯定感や自尊心をね。

プロジェクトに関わってくれている人たちは、みんな楽しそうにしてくれています。成功体験を重ねるうち、みんなが世界初のチャレンジャーに変わっていって、「誰かの役に立てた」っていう感覚をもって外出できるようになり、役割を得ていくっていう。テクノロジーは、そこにたまたまあるようなものでいい。文明とか、そうやってできていくって思っているし。テクノロジーは本当にツールに過ぎなくて、本命にするものではないというのが私の考え方です。

左近:彼らは新しい価値観をつくれる方たちだと思うし、環境のせいで彼らのモチベーションや能力を引き出せないまま終わってしまわないよう、お手伝いできることがあったらぜひ協力させてもらいたいと思います。今日は本当にありがとうございました!
吉藤オリィ
ORY YOSHIFUJI
株式会社オリィ研究所・所長
1987年、奈良県生まれ。オリィ研究所 代表取締役所長。小学校5年から中学校2年まで不登校を経験。中学生の時、「ロボフェスタ関西2001」会場にいたロボット開発者・久保田憲司氏に師事するため、奈良県立王寺工業高等学校に進学。水平制御機構を搭載した電動車椅子の開発を行い、国内の科学技術フェアJSEC(ジャパン・サイエンス&エンジニアリング・チャレンジ)で文部科学大臣賞、世界最大の科学大会ISEF(インテル国際学生科学フェア)Grand Award 3rdを受賞。その後寄せられた多くの相談と自身の療養体験から、「人間の孤独を解消する」を人生のミッションとする。高専の情報工学科に編入し、人工知能の研究をしたのち、JSECのプロデューサーである渡邊賢一の勧めで早稲田大学創造理工学部へ進学。在学中に遠隔で操作できる全身20cmのテレワーク分身ロボット「OriHime」、神経難病患者のための視線文字入力装置『OriHime-eye』を開発し、2012年にオリィ研究所を設立。著書に『「孤独」は消せる。 私が「分身ロボット」でかなえたいこと』(サンマーク出版)、『サイボーグ時代 リアルとネットが融合する世界でやりたいことを実現する人生の戦略』(きずな出版)がある。
山本左近
SAKON YAMAMOTO
さわらびグループ CEO/DEO
レーシングドライバー/元F1ドライバー
1982年、愛知県豊橋市生まれ。幼少期に見たF1日本GPでのセナの走りに心を奪われ、将来F1パイロットになると誓う。両親に土下座して説得し1994年よりカートからレーシングキャリアをスタートさせる。2002年より単身渡欧。ドイツ、イギリス、スペインに拠点を構え、約10年間、世界中を転戦。2006年、当時日本人最年少F1デビュー。2012年に日本に拠点を移し、医療法人/社会福祉法人の統括本部長として医療と福祉の向上に邁進する。2017年には未来ヴィジョン「NEXT55 Vision 超幸齢社会をデザインする。」を掲げた。また、学校法人さわらび学園 中部福祉保育医療専門学校において、次世代のグローバル福祉リーダーの育成に精力的に取り組んでいる。日本語、英語、スペイン語を話すマルチリンガル。

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